Revolver

7人

7年

昨日のラジオ、大倉くんと高橋くんを聴いて書こうと思った記事です。

 

2018年3月11日。東日本大震災から7年。

 

 

私は東北に住んでいたため、大きな揺れを経験した。当時、小学5年生。学校に居た。今までの避難訓練は無意味だと感じた。揺れがおさまったと思って移動しようとすると、また大きな揺れ。パニックになる私たち。大きく揺れているなか、我が先にと外に出ようとする私たち。本当に避難訓練見直した方が良いと思う。外に避難したときに、雪が降ってきて寒さがマックス。余震が続いて、校庭のライトが大きく揺れている。私は涙が止まらなくて、「家族大丈夫かな、死んでないかな」って思ってた。4時間くらい経った頃、母親が迎えに来て、妹とも合流して歩いて家に帰った。道中、マンホールが高く上がっていたら、信号機が倒れていたり、地面にひびが入っていたり。私がその日の朝まで毎日歩いていた登下校の道はぐちゃぐちゃだった。家に入ったら、足の踏み場がないくらいに物が落ちてた。変わり果ててた。ずっと夢だと思いたかった。本当に。その時に家にあったお菓子を食べたが、全く味を感じる事が出来なかった。とりあえず、家では寝る事が出来ないと判断して近くの集会所に行った。そこで父とも合流して家族は皆無事だった。夜中に急に父に起こされて、車に移動した。集会所はとても寒く車で暖房をつけて過ごした方が良いと判断された。次の日の朝、新聞を見て大きな地震だと改めて知った。そして、朝に食べた昨日と同じお菓子は味がして美味しかった。その日から何日、停電してた、とか、何をしてた、とか覚えていない。飲料水がほしくて自販機をまわったけど、全部売り切れ。スーパーまで歩いて食べ物を調達する。これがいつまで続いたかも覚えていない。今、このように文字に書いているとすごい経験をしているな、と客観的に見てしまう。

 

今現在、私は関西地方に住んでいる。

7年。0歳だった子が7歳だよ。小学5年生だった私がもう次は大学生だよ。あっという間。私は未だに、2011年を区切りに考えてしまう事が多い。2011年以降はは私の中では最近の年に思える。なんで、あんな事が起きたんだろう。なんで、こんな苦しみを与えられたのだろう。前は、「これは長い長い夢なのかな」って考える時もあった。 だけど、今は前を向いて生きていかなくちゃいけない。少し重い言い方かもしれないけど。時が止まったままだと、何も変わらない。でも、それは忘れる事とは違う。忘れてはいけない。いつかはまた起こる大きな災害。その日のために、私たちが出来ることとは。

 

亡くなられた方にご冥福をお祈りします。